イワテケン・ミヤコシ02
三陸鉄道…ご存じですか?
ボクは全く知りませんでした。
その頃のボクはというと...
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3.11の震災が起こった直後、近くの友人はすぐさま現地へと向かった。
自分も何かしたくて溜まらなかった。
しかし、何ができるかわからない。
そして、やらねばならぬ仕事がしっかりと出口をふさいでいた。
物資を積み込んだ友人の車 |
自分が行って何ができるのか、自信はなかった。
でも、行って見たかった。
自分のこの目で見たかった。
正直、「冒険に血が騒ぐ」ような、そんな気持ちもあった。
この超非常事態に、現地に行けない自分。
心の中にコンプレックスが広がった。
「行けないのか? 行かないのか?」
「今は、あそこに行って、なすべきことがあるのではいのか?」
そんな心模様を押し抱いて、パソコンに向かっていた。
『ふるさと義援金』のサイト製作を担当していたから。
そのうちに、まわりの友人が1人、また1人と現地に向かっていった。
その頃はまだ『ふるさと義援金』が上手く行くかどうかまったく予見できない状態だった。
どの市町村も「ふるさと寄付金制度」を真剣に活用してはいなかった。
だから、振り込み先も、使用目的についても、どれもバラバラでなおざりな感じ。
「無理じゃないのこれ?」という思いを押し殺して、とにかく作業を進めた。
被災地のことを全く知らないボク。
その乏しい想像力で一所懸命パソコンに向かった。
でも、やっぱり「現場」に憧れた。
「憧れ」? そりゃ変だろう! 不謹慎だ!
…でも、誰かの命のために身体を張って何かしたかった。
そう思うと身体がうずいた。
そして、自分の中にある「無理」と書かれたあきらめの壁に気づいてきました。
この「コンプレックス」は、宮古市に行くまで続くのでした。
その頃に作った「節電ポスター」 |
『ふるさと義援金』『三陸鉄道復旧支援プロジェクト』
への協力に関しては下記のサイトをご覧下さい。
OPEN JAPAN
コメント
支援ありがとう~!
オイラもこっちで、避難してきた方達を
「うけいれ」てるぜぃ!