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6月, 2011の投稿を表示しています

虫干し

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今日は暑かった! そして生まれて初めて「虫干し」というのをやりました。 夏服、冬服の入れ替えもやりました。 ここ、美留和(びるわ)は湿気がものすごいのです! 久しぶりにサンティーも作りました。 お日様パワーで煮出すお茶です。

ぶら~ん

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なんか調子わるいな〜!

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さて、最近調子が悪うございます。 体調もさることながら ココロの方も ジト〜っとして ぶらんぶらん な感じです こんな時は 焦って さらに深みにはまっていくのでございます なものですから ジタバタは止めて 自堕落自堕落 でございます 先日撮った庭の花の写真 モニターで大きくして見たら 撮影した時とは全然違う感じ 可憐に見えてたのだけど なんか違う… あたりまえだけど ひとつひとつみんな違うし おんなじものなど何もないし 見ているようで 見えていない おおざっぱ 十把一絡げ (じっぱひとからげ) 「なに見てんだよ〜」 むむ、 せっしゃ ココロをあらためるで ござる! ふん! 汚点等さま お天道さま ギラッといっちょう いせいよく よろしくお願いしますよ 寒すぎますよ 最近 畑のささぎが凍えてますぜ ふん! ふん! ふん!

おかめ

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ひょんなことから念願の「おかめ」でラーメンを食べることができました。 噂の通り美味しかった♪ ---- おばちゃんはべっぴんさんでした!

イワテケン・ミヤコシ03

「できない」と思い込む見えない壁が自分のまわりにある。 そのことを意識しはじめた。 「できない」ではなく「やらない、やりたくない」ではないだろうか。 その理由は「不安」だろうか。 「面倒だから」だろうか。  そしていつも、そんな自分の背中を押してくれる「決定的な出来事」を待っている。  いつも、自分ではない誰かに肝心な部分を委ねている。  今回もそう。  OPEN JAPANの役割として、ある人の代行で岩手県の宮古市に向かうことになった。 『三陸鉄道』という縁もゆかりも無かった鉄道会社に、支援の提案をしに行く。  「その動機」を自分の中に必死に探す。 行きたい気持ちはある。心ははじめから「行く」と言っている。  しかし、行かない理由をあれこれ考える。   ※お気づきでしょうが、これは「活動報告」というよりも、自分の心模様の記録です。 おのずと被災地の状況や活動の記録ともなると思いますが、何より自分に起こった「東日本大震災」の影響の記録のつもりです。この事は言葉にしておかねばと思いました。   『三陸鉄道』さんにどのようにこの話題を切り出したらよいのだろう。 そう考えているうちに時間は経って行きました。  やらねばならぬ仕事も全て終え、いつでも旅立てるタイミングが来ました。  「電話をする」 この単純で明快な行動を取るのに、延々と悩み続けました。  「動けば変わる」 やってみたら、そこから次の展開がはじまる!  なのに、その前段階でいつまでも足踏みを続けてしまう。  … 電話をかけたら早かった。  支援の提案をとても喜んでくれた。 ドギマギしてとても拙い申し出でしたが、快く受けてくれました。  心は一気に開放されて、岩手県宮古市行きの手配を早速始めるのでした。  って、出発前の話が長いな〜 しょうがないか、その通りだったんだもの。 そして、この「壁」の存在に気がつけたのは、自分の人生におけるとても大きな出来事でした。 48歳にして、やっとここまで来たかという感じ。 ずいぶんと長い道のりだった。 ふ〜 で、まだまだこっれからね。 タイトルを「なんちゃってボランティア体験記 〜岩手県宮古市編」に変更しようかと思ってます。

今日はディジュのレッスンを受けた

近所に牧場併設の隠れカフェがあります。 今日、そこでディジュの稽古をつけてもらいました。 「じゅんかんこきゅう」というのが難しいのですよ〜 今日、なんとか糸口をつかんだような、触れただけのような… 楽しかったです。 明日から白老への旅。朝3時出発予定。(^_^;) 亀とカミサンとで珍道中〜 なので今日はもう寝ます。 いい一日を♪

イワテケン・ミヤコシ02

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バウさんの代理で 『三陸鉄道復旧支援プロジェクト』 の提案をしに岩手県宮古市に向かうことになりました。 三陸鉄道…ご存じですか? ボクは全く知りませんでした。 その頃のボクはというと... ************************************************** 3.11の震災が起こった直後、近くの友人はすぐさま現地へと向かった。 自分も何かしたくて溜まらなかった。 しかし、何ができるかわからない。 そして、やらねばならぬ仕事がしっかりと出口をふさいでいた。 物資を積み込んだ友人の車 自分が行って何ができるのか、自信はなかった。 でも、行って見たかった。 自分のこの目で見たかった。 正直、「冒険に血が騒ぐ」ような、そんな気持ちもあった。 この超非常事態に、現地に行けない自分。 心の中にコンプレックスが広がった。 「行けないのか? 行かないのか?」 「今は、あそこに行って、なすべきことがあるのではいのか?」 そんな心模様を押し抱いて、パソコンに向かっていた。 『ふるさと義援金』のサイト製作を担当していたから。 そのうちに、まわりの友人が1人、また1人と現地に向かっていった。 その頃はまだ『ふるさと義援金』が上手く行くかどうかまったく予見できない状態だった。 どの市町村も「ふるさと寄付金制度」を真剣に活用してはいなかった。 だから、振り込み先も、使用目的についても、どれもバラバラでなおざりな感じ。 「無理じゃないのこれ?」という思いを押し殺して、とにかく作業を進めた。 被災地のことを全く知らないボク。 その乏しい想像力で一所懸命パソコンに向かった。 でも、やっぱり「現場」に憧れた。 「憧れ」? そりゃ変だろう! 不謹慎だ! …でも、誰かの命のために身体を張って何かしたかった。 そう思うと身体がうずいた。 そして、自分の中にある「無理」と書かれたあきらめの壁に気づいてきました。 この「コンプレックス」は、宮古市に行くまで続くのでした。 その頃に作った「節電ポスター」 『ふるさと義援金』『三陸鉄道復旧支援プロジェクト』  への協力に関しては下記のサイトをご覧下さい。 OPEN JAPAN http://www.peace

イワテケン・ミヤコシ01

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札幌→弟子屈行きの時に バウさんが貸してくれたザック 今回も一緒に ほぼ一月前の5月8日に弟子屈を発ち、岩手県宮古市に向かった。 『OPEN JAPAN』 という「繋がり」がある。 「ネットワーク」という呼び方の方が理解しやすいが あえて「繋がり」と日本語で書いておきたい。 阪神淡路大震災の時に 山田和尚(バウ)さんを筆頭に活躍した 『神戸元気村』 ボランティアという“血”が日本列島を駆け巡った、 その黎明期にたくさんのノウハウを生み出してきたグループのひとつ。 その“血”の流れの本流とでも言うのでしょうか、 『OPEN JAPAN』は、山田バウさんの活動の軸であり、願いであります。 いや“舳(へさき)”と言った方がいいのかな? 『神戸元気村』の活動に関する詳細は 『 いのちの力をつかまえろ 』 を読んでください。 ※Amazonの「今こそ読みたい本」というのに選ばれているようです。 今回は、その流れに混じらせてもらいました。 『ふるさと義援金』 今回、この取り組みをバウさんは自身の命を削って行いました。 赤十字などの募金が被災者に届くまでに かなりの時間を要することを経験上知っていたバウさんは 議員とともにロビー活動を行い 「ふるさと寄付金」の制度を活用した 「ダイレクトな寄付」の仕組みをこしらえるためです。 何よりも一番に対応すべくは「現地の被災者の命と生活」です。 それは、災害時には「待ったなし」です。 しかし、既存の仕組みはそれをなかなか越えられません。(制度上の問題) この記事をご覧下さい。 「被災地へ「ふるさと納税」急増中 既に09年度の90倍」(朝日新聞社) 「東日本大震災の被災地への「ふるさと納税(寄付金)」が、震災発生後に急増している。岩手、宮城、福島の3県では、震災発生後から3カ月足らずで、2009年度の年間実績額の約90倍にのぼる。話題性はあったものの浸透度は低かった制度が、震災を機に注目を集めている。」 ボクとナオミちゃん(ボクのパートナー)は、『ふるさと寄付金』という制度を使って被災した各市町村の被災者にダイレクトに迅速に義援金を送る仕組みを伝えるサイト製作に関わ