2010年7月9日金曜日

「軍事優先主義者は荒野をめざし、村野瀬玲奈はお花畑をめざす。」

素晴らしいので全文転載。(笑)
実は、同じ事を以前、言われたことがあるのです。ネットで。

「軍事優先主義者は荒野をめざし、村野瀬玲奈はお花畑をめざす。」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1865.html

この世界には敵対関係ばかりだと信じるので平和の構築は軍事力の対抗関係だけでしかできないとする考え方を軍事優先主義、そのような考え方を軍事優先主義者と呼びましょう。(軍事によって自らの利益をはかる悪魔的な考え方も軍事優先主義ですが、ここでは、軍事力を持つ目的は防衛と平和のためであるという、平和的な建前を含む考えのことを指すことにします。)

軍事優先主義者はしばしば、「軍事力による抑止」以外のプロセスを主に平和構築に取り入れる考え方を「お花畑」と揶揄します。

この世は敵ばかりがいて力と力が角突き合わせている「荒野」であり、そこでは物理的な力がすべて(あるいはほとんど)なのだから、物理的な力を使う以外のやり方があると考えることは現実性のない単なる夢想だというのが軍事優先主義者の言い分なのでしょう。

つまり、軍事優先主義者は荒野を目指し、荒野にとどまり、どこから攻撃されるかわからないという緊張と恐怖の中、それ以外の感情があるとは思いもせず、武器を手にしたまま荒野を一歩も動こうとしない、というイメージです。

それに対して、私は堂々と言います。軍事主義者が荒野をめざし、恐怖と緊張の中を荒野にとどまることを選ぶなら、私、村野瀬玲奈は今いる荒野からお花畑をめざして歩き続けることを選びます、と。

私が今荒野にいるのが現実だとします。しかし、私はその荒野にとどまっているつもりはありません。荒野にいてどこから攻撃されるかわからない緊張と恐怖の中にとどまるつもりはありません。どうしたらお花畑にたどりつけるのか、あるいは、お花畑がないのならどうやったら荒野をお花畑に作り替えていけるのか、考え続けます。

どのくらい歩けばお花畑に着けるのかはわかりません。私は意外に近いところにお花畑があると思っていますが、お花畑なんてないと私に信じ込ませようとする人たちもいますし、私がお花畑を見つけると不都合なものだから私がそちらに行こうとするのを邪魔する人もいます。(笑)それはまあいいです。いろいろな人がいますから。

でも、私は邪魔されても邪魔されても、お花畑を求めて歩き続けます。今は荒野にいることはわかっていますが、緊張と恐怖をかかえて荒野にとどまり続けるつもりは私にはないからです。そして、お花畑にたどりつける知恵や、荒野をお花畑に変える知恵や、お花畑を荒野に変えない知恵が人間の中にあると私は信じているからです。そして、お花畑の方が荒野よりも心地よいと私は単純に思うからです。

私にとってのお花畑とは、今のまま荒野にとどまるつもりがないという私の意思の象徴です。

お花畑に到達するのは容易ではありません。荒野をお花畑に変えるのも容易ではないでしょう。それは軍事優先主義者の言う通りです。それは私も認めます。

だけど、お花畑に到達しようと努力を続けること、荒野をお花畑に変えようと努力を続けること、その継続的な努力の中にしか荒野にとどまり続けるときの緊張と恐怖を和らげる手段はないのです。難しいからといってその努力をあきらめることに加担するつもりはありません。だいいち、荒野にとどまり続けて何の見通しがあるでしょうか。

軍事優先主義者が何と言おうとも、どんなに私を揶揄しようとも、私はお花畑に到達しようと努力を続けること、荒野をお花畑に変えようと努力を続けること、その意思を持ち続けることをやめようとは思いません。

(この記事では軍事問題だけについて「お花畑」のたとえを当てはめましたが、これはもちろんあらゆる社会改革や社会を進歩させようとする努力について言えることです。)

そして、今は荒野にいることを承知しながら、知恵をしぼってお花畑に到達しようと、あるいは荒野をお花畑に変えようと継続的な努力を惜しまない意思を持ち続けたいと思います。

人間ですから、時には心が折れることもあるかもしれません。しかし、ある人が一瞬心が折れる瞬間があったとしても、心が折れておらず努力を続ける人も大勢います。心が一瞬折れたら立ち直るまで少し休めばよいと思います。

「お花畑」は長い努力の末にしか到達できないでしょうし、いつ到達できると言えるものではありませんけど、必ずあると私は確信しています。

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